今回は、東南アジアの国ミャンマーからのレポートです。
現地の状況、不足している物などをレポートして頂きました。
2024年現在のミャンマーは軍事政権下の国です。
頻繁に軍事衝突が起きているため、日本の外務省が発表している海外安全度によると、レベル2の不要不急の渡航中止となっています。
今回は、紛争で故郷を追われた多くの難民たちが生活しているタイとミャンマーの国境付近の「避難民キャンプ」からのレポートをお届けします。
ミャンマーは、東南アジアの国です。隣国は多く、インド、バングラディッシュ、中国、ラオス、タイ、と接しています。海岸を長く、インド洋に接しています。
2006年までは南部のヤンゴンが首都でしたが人口に対して面積がせまくなったため、首都は内陸部のネピドー(王都という意味)に移されました。ヤンゴンは現在でも、政治・経済の中心地でミャンマーの最大の都市です。通貨はチャットと言います。
ヤンゴンの観光は、きらびやかな文教寺院(シュエダゴン・パゴダ)や、巨大な寝仏などで有名です。現在は政情不安定で軍事政権に対抗する勢力との戦闘が続いていますされています。
人口は約5000万人と日本の半分くらいですが、国土は1.8倍ととても大きな面積を持つ国です(世界40位)。少数民族の多い多民族国家で、6割がビルマ族で公用語もビルマ語です。国境を接している中国やインド系の住人も住んでいます。
ミャンマーは、石油・天然ガス・宝石などの鉱物資源が豊富なのですが、経済的利益のほとんどは、軍事政権と支持者に支配されているため所得格差が世界で一番大きい国として知られています。
長く続く内戦の中で、多くの国民が故郷を追われ、難民として国内外のキャンプでの生活を余儀なくされています。
ミャンマーの歴史はとても複雑です。
19世紀(1800年代)から、イギリスの植民地として統治されていましたが、第二次世界大戦中に日本の占領とともにイギリスから独立しました。その後、再度イギリスの植民地となりますが、1948年にようやく「ビルマ連邦」として独立しました。
ビルマという国名は、有名な小説/映画「ビルマの竪琴」などで、ご存じの方も多いと思います。ビルマの竪琴は、1945年にビルマから敗走する日本軍を描いたベストセラー小説です。映画にもなってヒットしました。
その後は社会主義国として統治されますが、1988年の民主化運動を機に軍事政権の国となります。その際に国名が「ミャンマー連邦」と改められました。
2011年には、軍事政権が解散し、民主化政権が立ち上がりました。その際にアウンサンスーチーさんが釈放されたことは、日本でも大きく報じされました。
2015年にはアウンサンスーチーさんを支持する政党が過半数を獲得しました。民主化路線を歩むと思われましたが、2021年2月1日にクーデターが発生し、ミャンマー軍はアウンサンスーチー国家顧問と大統領を拘束し、非常事態を宣言しました。
現在のミャンマーは、軍が政治を掌握する軍事政権下の国です。
ちなみに、現在のミャンマーという国名は、軍事政権が決めたものであり、その正当性を認めていない国(例えばアメリア)では、現在でもミャンマーという国名を認めていません。日本では国として名称を認めているため、ミャンマーが正式な国名として使われています。
用語解説
タイ国境付近には、9つの公式難民キャンプがあります。公式キャンプには、国連主導でNGOなどによる支援が届きます。
しかし、公式キャンプに入れなかった人々が住む「避難民キャンプ」には、国際的な援助は届きません。
難民と避難民という見過ごしがちな小さな言葉の違いが、大きな待遇の差を生んでいます。
今回のレポートは、ミャンマーとタイの国境付近のミャンマー避難民キャンプへの支援活動になります。
なお、タイと反対側のバングラディシュ川の国境付近の町には、約100万人のミャンマー難民が住んており、世界最大の難民キャンプとして国際問題になっています。
用語解説
お住まい : 大阪府大阪市
ホームページ : http://www.brcj.org/
2021年2月1日にミャンマー軍によるクーデターが勃発しました。
ミャンマー軍による攻撃で住む場所を奪われた人びとが、タイとミャンマーの国境地域の難民キャンプで避難生活を送っています。
ミャンマー側では国内避難民と呼ばれ、全体の総数が266万人(2023/12/16)となり、人道支援を必要としています。難民となった人々は、お互いに助け合い生活していますが、国際的な支援はほとんど届かず、多くの人びとが貧困に苦しんでいます。
タイ側に逃れたミャンマー人は、生きていくために移民労働者となり、多くの人びとが低賃金で農業や建築業に従事しながら稼いだお金で食べ物などの支援物資を買い、国境の川を徒歩や船で越えて、ミャンマー側の避難所へと支援物資を運んでいます。
現在のこの地域では、人道支援として必要な食糧・医療品・衣類・生活必需品が、慢性的に不足している状況です。
2023年はサイクロンや洪水被害があり、避難所の修復費用が必要となりました。ボランティアなどの人材については、ミャンマー人のコミュニティーで補うことができましたが、金銭、物品的な支援が十分には届きませんでした。
一般社団法人日本ビルマ救援センター(BRCJ)は1988年から活動をしている団体です。日本からの単発の支援は見られますが、継続支援をしている団体はBRCJだけです。
2021年のクーデター以降は、BRCJは、国際NGOの支援が届かないミャンマー国内のカレン州、カヤー州の避難キャンプへ、現地のカウンターパートを通じて人道支援を行っています。
避難民キャンプは、それぞれのインフラやコミュニティーの成熟度が状況が違います。
あるキャンプでは、すでに自立プロジェクトが始まり、その成果が見えてきました。別のキャンプでは、インフラを整えることから始めないと自立プロジェクトを進めることはできません。
タイ側には国際的なNGOの支援などが届いていますので、人道支援ではなくインフラの整備を進めています。移民労働者の子どもたちのためにターク県のメーソート群、ポッププラ郡には64校の学校があります。
ミャンマーの避難民キャンプには、無電化の集落があります。上下水道などのインフラ整備が進んでおらず、トイレがないキャンプもあります。子どもたちが通う学校もトイレは300人の児童に対して一ヶ所しかありません。
BRCJは、現地のカウンターパートであるSAWと協力して、トイレを建設するプロジェクト( Wash Project )を進めています。
セカンドライフは、基本的に物の支援を行う団体ではありますが、今回のお話をお聞きして、トイレ建設にご協力させて頂く事になりました。現在、トイレの建設が終わった段階で、またご報告させて頂きます。
1基の建設費用は、20,000バーツ( 約 85,000円 )です。
ご覧いただいている方で、Wash Project への資金協力をご希望の方は、ご連絡下さい。すぐに対応させて頂きます。
2024年2月8日
トイレの建設途中のお写真を頂きましたので、掲載しておきます
レポーターの中尾さんからのお話と写真から、ミャンマーでの避難民の方々の生活は、生存に必要な上下水道、電気、家などのインフラが、まだまだ不十分であることが分かりました。食事、トイレ・井戸、毛布、洋服といった人道支援が必要な避難民キャンプはまだまだ多いようです。
日本で震災などが起きた際にも似ていますが、まずは命を守るための緊急の支援があり、水やトイレ、防寒対策、食事、電気、家などがある程度満たされた段階で、生活をより豊かにしていく次の段階に移ります。
不要品の再分配(寄付)を通じて、世界の貧しい地域で起きている問題を解決する事が、セカンドライフのミッションです。その方法で、私たちができる事を、品目ごとに具体的にまとめていきます。
レポートを読んで頂き、ミャンマー支援に協力したいと思って頂けた方は、必要な品物のの寄付をお願い致します。
ミャンマー側の避難民キャンプを支援している New Blood Scoolより、カネリタ避難民キャンプの3歳から10歳くらいの子供たちへのサンダルの支援要請があったとご連絡を頂きました。
お写真のように裸足の子供を多く見かけます。裸足だとけがをしたり、雨季には、デング熱やマラリアを始めとする感染症にかかる可能性も高くなります。
この状況を改善するため、セカンドライフからのミャンマー支援の第1弾として、サンダルの寄付を行わせて頂きます。
サンダルには隙間がありますので、その隙間に、子供たちへの古着を詰めて送ります。実際に送る品物や梱包の様子などは、発送しましたらご報告させて頂きます。
セカンドライフは、色々な寄付品を、世界中の国々へ、寄付品として送っています。
文房具、楽器、スポーツ用品、絵本、おもちゃなど色々ありますが、箱に入れて送る際には必ず隙間ができます。その隙間を埋めるために、必ず、古着を入れています。少しでも多く物を入れたいので、古着は必ずと言ってよいほど送ります。
例えばピアニカを送るとき、古着で巻いてから送ったり、古着を緩衝材として活用しています。数か月の長旅で10mの波を超えていくときもあります。そんな時でも、きちんと巻いておけば安心です。
古着は、どこの国でも歓迎されます。サッカーが盛んでクラブチームがある地域だと、そろいのユニフォームを送ったりと、相手の状況を見て、仕分けてから、入れるようにしています。
参考リンク
セカンドライフでは、クレヨン、色鉛筆、絵具、画用紙などの、お絵描き道具を支援していきます。
食料、水、トイレ、洋服などと比べると、お絵描きの道具や遊び道具は、少しだけ贅沢品にも見える事があります。でも、私たちは、子供たちにお絵描き道具を寄付して自由に絵を描いてもらう事は、とても大切なことだと考えています。
子供たちは、勉強だけではなく、遊び・スポーツ・お絵描き・音楽などを通じて、自己表現や社会性について学びます。
欲しいものは何ですか?と聞くよりも、欲しいものを描いてみて。と言った方が、より多くの情報が伝わる事も良くあります。
アフリカなどの内戦が頻発する地域では、子供たちのカウンセリングの一環として、絵を描いてもらう事があるそうです。機関銃・戦車・血などを描く子供もいます。
文房具は、アジア、アフリカ、南米、など、どの国でも必要とされる品物です。古着と同様に、海外で人気の寄付品です。
鉛筆、ノート、消しゴム、定規など、どれだけあっても足りないくらい常に物資が不足しています。
セカンドライフでは、ミャンマー避難民への教育支援として、文房具の寄付を開始します。
フィリピン、ブータン、コンゴ民主共和国、マリ共和国などへは「 ランドセル500個プレゼント プロジェクト 」として、ランドセルの中に文房具や楽器、遊び道具、お絵描き道具を入れて送るのですが、現時点でのミャンマー避難民への支援に関しては、ランドセルは無しで古着や布バッグなどを支援していく計画です。
参考リンク
セカンドライフは、不要品の寄付を通じて、社会の課題に挑戦していますので、基本的に不要品の寄付が支援の方法となります。
ただ、今回のミャンマーレポートで、インフラの整備も必要だと思いましたので、清潔で綺麗なトイレを避難民キャンプに建設するためのWash Project に参加させて頂きます。
参考リンク
ここでは、文中で出てきた用語、人名などを詳しく解説しています
アウンサン・スーチーさんは、第2次世界大戦中の1945年6月にミャンマーの首都ヤンゴンで生まれました。お父さんは、有名な独立運動家でミャンマーのお札にも肖像画が採用されました。1947年に暗殺されましたが「ビルマ建国の父」として死後も敬愛されています。
スーチーさんは英才教育を受けて、インドのデリー大学とイギリスのオックスフォード大学、アメリカのニューヨーク大学で学びました。
父の研究を行うため日本語も習得し、1985年10月から翌年7月までの約9か月間、京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として来日していました。
1987年ころから、ビルマでの活動を開始。1988年の国民民主連盟を結成し、書記長に就任しましたが、1989年7月に自宅軟禁されました。結果的には、1990年5月27日の総選挙では、アウンサンスーチーの率いる国民民主連盟が大勝しました。しかし、軍事政権側は、「民主化より国の安全を優先する」と権力の移譲を拒否したため、その後も軍事政権が続きました。
このことが国際的な反発を招き、スーチーさんの名前を多くの人たちが知る事になりました。
2009年には、「国家転覆防御法」違反の罪で起訴され裁判が始まりました。この基礎に対して、著名人44人( ニコール・キッドマン、ブラッド・ピット、デビッド・ベッカム、他)が反対し、解放を求める共同声明を発表したことも大きく報道されました。
その後、2012年には世界中を訪問し、4月には日本では当時の安倍総理と会談し、9月にはホワイトハウスでオバマ大統領と会談を行いました。
2013年に再度日本を訪問した際には、今回のレポーターであるBRCJの中尾さんとも面会されています。
「難民」という言葉は、難民条約によって国際的に定義されています。
「人種、宗教、国籍、政治的意見、あるいは特定の社会集団に属するという理由で、自国にいると迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れ、国際的保護を必要とする人々」
公式難民キャンプとは、国連の難民条約に基づいて難民認定された人々が住むキャンプです。国連などの世界的な支援が届きます。
難民キャンプという言葉は良く聞く言葉ですが、タイ・ミャンマー国境付近では公式難民キャンプだけでは、人々を収容できないため、非公式の難民キャンプが存在していて「避難民キャンプ」と呼ばれます。
他国から何らかの理由で、自国に逃れてきた人々に対して、「難民」という言葉を使うと、国際条約に従って、保護しないといけなくなる。ため、難民という言葉を使えない場合があります。
例えば、日本でも「避難民」という言葉が良く使われています。日本は「難民受け入れ」に対して消極的な国だからです。
最近だと、ロシア進行によるウクライナ支援で、2000人くらいの方が日本にやってきましたが、「難民」として受け入れたわけではなく、人道援助として受け入れているため、「ウクライナ避難民」という言葉が使われます。
ミャンマーと西側の国境を接するバングラデシュ南部のコックスバザールには、世界最大の難民キャンプがあり、ロヒンギャと呼ばれるイスラム系のミャンマー難民が、たくさん生活しています。
2024年現在では、約100万人のロヒンギャが、コックスバザールで過密な住環境の中で最低限の暮らしをしています。
ロヒンギャとは、ミャンマーのラカイン州に住むベンガル系のイスラム教徒の民族名です。言語は、ロヒンギャ語を使用します。英語ではロヒンジャ、タイではロヒンヤと発音されます。
1990年代からミャンマー国内での差別と迫害にあい、多くの人々が国外へ逃れました。2017年には、ミャンマー軍によるラカイン州への大規模な侵攻があり、その際に数十万人のロヒンギャが、コックスバザールへ逃れたため、ロヒンギャ難民の数が膨れ上がり、100万人にまで達しました。
ロヒンギャ難民の半数以上が18歳未満の子どもで、5歳未満の子どもの10%以上が栄養失調状態にあります。キャンプ内は、衛生状態・治安共に悪く、モラルも低下しています。
ロヒンギャたちは、ミャンマーでも、バングラディシュでも国籍も権利も持てず、無国籍で、基本的な権利もありません。多くのロヒンギャが、自国への帰還を望んでいますが、目途は立っていません。
ロヒンギャ危機として大きな問題になっていますが、ウクライナ侵攻の陰であまり報道されないため、ご存じない方が多いと思います。
カウンターパートとは、国際的な共同作業・協力活動などを行う時に、現地での金銭や物資の受入れを担当する人や機関の事です。
日本語では、「 受け入れ担当者 」「 受け入れ担当機関 」と言い換える事ができます。
今回の場合、タイ国内で、ミャンマー避難民を支援している団体や子供の教育支援を行っている学校がカウンターパートになります。
タイやミャンマーに住む少数民族のカヤン族は、選ばれた女性が首に金色の真鍮リングを巻く風習を持っています。幼いころから1年おきにリングを増やし少しづつ首を長くしていきます。
首が長いほど、美しい。という美意識の元に、この風習を行っているため、日本では「 首長族 」として知られています。
タイ側のカヤン族も、元はミャンマーから逃れてきた避難民です。タイのチェンマイで、観光目的に新設された村に定住し、編み物や装飾品といった民芸品を作り、それを観光客に売って生計を立てています。
Maung Maung Tinn マウンマウンティン
マウンマウンティンは、1969年にビルマ(ミャンマー)東部のカレン州に生まれた水彩画の画家です。1994年ころに弾圧を逃れて、避難民としてタイに出国し、苦労の末に芸術大学で学士号を取得して、画家として成功しました。
現在は画家として、祖国やタイで苦しんでいる人々の為に日々絵を描いていており、自身の絵へ寄せられた寄付は国境沿いの多くの貧しい家族のために宛てています。
より多くの人々がミャンマー ( ビルマ ) の現状を認識し国際社会が変化することを願い、人々にビルマ難民のことを忘れないでほしいと訴えるために筆を執っておられます。
人々の生活世界を緻密な筆致で描き出す彼の水彩画は、これまでにアメリカ、カナダ、スイス、イタリア、フランス、ベルギー、日本の7カ国で13回にわたり展示されてきました。
参考リンク
World Donation Reportは、世界の国々から、寄付・ボランティア・福祉に関する生の情報をお届けします。
世界のどこかの国で暮らしておられるサポータ様からの、現地の生の声をお届けしていきます。現地の暮らしや環境などをお聞きした上で、現地の問題を解決するためにどのような寄付品が必要か?について、できるだけ深く掘り下げてレポートします。
世界には色々な問題があり、その問題にまっすぐ取り組んでおられる方々はたくさんいます。私たちは、それらの人々の1つ1つの声を受け止めて、「不用品の寄付」を通じて、より具体的な解決策を探し実施していきます。
1つ1つの問題は小さなことに見えても、集まれば大きな世界レベルの問題となります。同じように、目の前の1つの不用品の活用が、集まれば世界レベルの大きな解決策となります。
私たちは、そんな未来を目指して、世界100か国からのレポートをお届けすることを目標にしています。
WDRレポートを通じて、セカンドライフが実現したい3つの事をまとめました。
まず最初に私たちのできる事は、できるだけ多くの国・場所での起きている事と課題を掘り起こして公開していくことです。
どんな問題が、世界のどこで起きていて、何を支援すれば問題解決に繋がるのか?を明確にすることから、全てが始まります。私たちは、できるだけ詳細なレポート作成と継続支援を目指しています。
次に、課題に添った寄付品を丁寧に仕分けて準備し、継続的に支援していくことです。
多くの国で必要とされるものもあれば、その国独自に希望する支援品もあります。希望されるタイミングや時期も異なります。
毎月、今、必要な情報を整理し、支援品を過不足なく準備していくことは大変ではありますが、とても必要な事です。私たちは、丁寧に情報を整理し、丁寧に寄付品を仕分けて、丁寧に梱包し、継続的に支援するための体制を整えています。
それでも問題は常に生じますので、現場からの声を聴きながら、小さな改善を積み重ねて行き、昨日より今日の方が少しレベルが高い日を積み重ねていきたいと思います。
寄付品を送って終わり。ではなく、寄付した品物に対する声なども、どんどん届けていきます。
喜んで頂けた声や様子をお写真、動画、テキストなどでお届けする事や、足りなかった事やもの・課題なども積極的に公開していきたいと思っています。
レポートを通じて私たちが達成したい事です。
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一緒に、世界の課題を1つづつ、解決していきましょう。
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私たちは、モノを届ける事によって、その国の解決する事にチャレンジしています。
しかし、どこの国でも「 物品の輸送コスト 」に関する課題を持っておられます。
そのため、帰国のたびに手荷物で少しづつ持ち帰る。というような草の根運動を行っておられる方が多いです。
セカンドライフでは、この問題を解決するために、下記のお手伝い( ボランティア )を行って頂ける方を募集しています。
支援物資は、セカンドライフで選別し梱包したうえで、WDRサポーター様の下へ、支援品のリスト+写真と一緒にお届けします。
現地の受け取り担当の方と、WDRサポーター様のコンタクトに関しては、当初はセカンドライフの方でサポートいたします。
最終的な現地での受け渡しについては、当事者それぞれの許可を頂いた上で、連絡先交換を行って頂き受け渡しを行って頂きます。
現地への持ち込み手荷物用のバッグは、セカンドライフの方で用意します。
中古のスーツケースに、支援物資を入れて梱包した状態でWDRサポーター様の下へとお届けします。
行先、交通手段を理解したうえで、持ち込める手荷物の大きさ・重量内ので準備し、WDRサポーター様の下へと宅配便でお届けいたします。
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